嫌な事を言われても、
理不尽な事を言われても、
私が悪い。
自分を責めてしまう。
ずっと自分を責め続け、良い事なんてないのに、それでも責め続け自分の心を傷つける。
なぜそう思ってしまうのか。
小さいころ、頑張った事を認めてもらいたくて、一生懸命小さい体で頑張っていた私。
頑張ったら、次の目標。
それでもまた頑張って、次から次へ永遠に終わらない目標達成。
頑張ったねって認めてほしかったんだと思う。
母からの頑張ったねの言葉には、達成したことへの頑張ったではなく、
頑張ったねの言葉は次の目標を向いての頑張ったね。
目の前の頑張った出来事には目線はなく、次のステップへ向けての頑張ったね。
小さな私には終わりと休憩という時間は来なかった。
下を向いていれば、必ず母が前向きな言葉をかけてくれた。
いつしか、下ばかり向くようになっていたのかもしれない。
頭では理解しつつ、自分を責めるの事はいまだにしてしまう。
嫌な事が起きた時、物事がうまくいかない時
私が悪い。
そんな風に思ってしまう。
自分を責めてしまった時、自分はどうありたいのか、本当はどうしたいのか、
口には出せないけれど、自分に聞くようにしている。
一旦立ち止まる。
自分の心に話しかける。
心に優しくしないと、いつか壊れてしまう。
壊れる前に、自分を自分で守る。